心の日本酒である喜久醉を醸す青島酒造さんにおじゃましてきました。
青島酒造さんは個人での蔵見学をお受けしていらっしゃいませんが、今回は日頃お世話になってる中村酒店さんの蔵訪問に同行させて頂いたのです。ありがたやー。
僕は2009年に一度蔵の前までは行ったことがあるのですが、当然蔵におじゃますることもなく、でも愛するお酒が生まれる場所を見て、満足して帰ったものでした。あれからずっと一度はおじゃましてみたい蔵元さんでして、今回の嬉しい機会に恵まれたのです。
蔵元には、写真もブログの掲載も許可頂いています。
なんですが、めっちゃ色々質問させてもらって、ここだけの話なんてのもたくさん伺わせてもらってまして、迂闊にポロってそんな話まで書いちゃうといけませんから、ここではそのさわりだけにしておきます。
代わりになかなか見れない蔵の中の写真を工程順に。
国道1号線から見える蔵はこの建物。
仕込み水。
喜久醉の仕込み水は大井川水系の潤沢な地下水。まず最初にこの仕込み水を味わわせてもらいました。もう、ビックリするほど丸く滑らか。そして喜久醉の味につながってるのが判るのです。酒蔵にお邪魔すると仕込み水を頂くことは多いのですが、これほどまでお酒の味につながってる水は初めてでした。
そしてこの豊富な水は、蔵の水仕事を一手に引き受けているんだとか。酒造りに水質は欠かせない要素ですけど、ここのように豊富な水量があるところはなかなかないんだそうです。蔵元は、恵まれたいただきものだっておっしゃってましたが、この水も喜久醉に仕込まれるんだから恵まれてるんですよ。
お米の話。
松下米の玄米、50%、40%精米の比較。よく見る精米された酒米よりも丸くないから扁平精米かなと思ったのですが、違いました。
お米の話になると、もう話が尽きません。特に米の洗いに関しては、その全てが味につながる、理に適った、だからと言ってそれを実現するのは並大抵の仕事じゃないなと感じ入る素晴らしい作業なのです。
釜場。この上に甑を乗せて米を蒸すわけですな。
麹室。この時期は開けちゃダメ張り紙がされてる場所なんですが、特別に入り口から覗くところまで。
喜久醉の麹造りは、世間一般の日本酒蔵で掛ける時間よりも長いのです。それには至極納得する理由があるのですが、それにしてもまぁ大変な作業。杜氏である専務が、全ての麹造りを一人でこなされるそうです。その間の睡眠時間は2時間半になるんだとか。
仕込みのタンク。やはりそれほど大きくないタンクが並んでます。ほんのりといい香り。
貯蔵の冷蔵庫。P箱しか写真に撮ってませんが、もちろんタンクもあります。瓶詰めが終わってないタンクはもう残り僅か。
瓶詰め工程。四合瓶も一升瓶もこのラインで詰めてます。動かしてもらいましたが、とてもゆっくり。なので一日の瓶詰め量にはかなり限りがあるそうですが、その代わり全ての瓶のキャップまで目視でチェックできる、品質を大事にできる環境なのです。
こちらは別棟の出荷用の冷蔵庫。ここから全国の特約店に届くわけですな。
最後に試飲。定番6銘柄。並べて飲むのは数年ぶりです。そもそも普段は特別本醸造ばっかり飲んでますから。
予めちょっと冷蔵庫から出してあったので、より味の違いが判る条件でした。
以前飲んだ時に比べて、旨味が太くなった印象。キレイさが変わらなくてリッチさが増したのかな。そして甘みは減ってる印象なんですよね。
以前大吟醸クラスを飲んだときは、綺麗すぎて物足りない、特に食事と合わせるにはあまりに繊細すぎるという印象で、結果やっぱり特本すげーってなってたのです。そして、それぞれに違いはあっても、特本でも何の不足もないクオリティだしって。
今回改めて飲み比べていくと、旨味の豊かさも大吟醸の方があるんですね。キレイさも旨さもあって、でも甘さは控えめで派手さはないと。なんせ、大吟醸に続けて特本を飲むと、やや薄く感じるくらいですから。
大体どの銘柄でも、大吟醸クラスなんかは値段的に毎日飲めるわけがないのですが、そもそも毎日晩酌に飲みたい味でもないんですね。でも久しぶりに飲んだ喜久醉の大吟醸クラスは、えぇ毎日食事と飲みたい美味しさでして、悪い味を知ってしまったなぁと…。
試飲をしながら延々と質問タイム。
予め聞きたかったことをいくつか用意してあったのですが、今振り返るとまだまだ聞きたいことがたくさん残ってます。でも予定時間を1時間もオーバーしてましたから、続きは次回のお楽しみということにしておきます。えぇ、なんとかしてまた行きたいw
最後に山田錦の田んぼを案内してもらいました。これから穂をつける状態。一般的な山田錦よりもやや背が低く、代わりにどっしりと根が張ってるんだそうです。
もうちょっと寄ってみるとわかりやすいのですが、稲の間隔がやや広いんですね。一株の太さを考えるとかなり広い。近くの他の田んぼと比べると一目瞭然です。
この辺りの話は、松下米の生産者である松下明弘さんの著書「
ロジカルな田んぼ」に詳しくて、次は是非松下さんにもお会いしたいなぁと。
とにかく、理に適った作業の積み重ねという印象を強く持ちました。すべての工程に最終的な味の目標につながる理由があり、そのための手段、技術を突き詰めていくという姿勢は、我々が喜久醉を飲んで思う、どうやったらこの素晴らしい味になるのだろうという不思議な感覚の理由だったのです。1つ2つすごいのテクニックなんかじゃなくて、積み重ね。意味のある積み重ねなんですね。
いや、こうやって書いてるとそりゃそうだろって話なんですが、その個々の部分だけを見ても気が遠くなるような作業だったりするんですよ。それを杜氏を筆頭に蔵元の皆さんが実際に実現していく姿は、理想の蔵の一つの形と言うに何の疑問も持たないのです。
なんで喜久醉はいつ飲んでも同じ美味しさなのか、過度に若かったり熟したりすることもなく、もちろん劣化なんて無縁。どうやって実現しているのかは、理論を聞けばそうですねって話なんですが、でもそれはあくまで机上の理論でしょってレベルの話なんですよ。でもそれを実現するために作業をする、そしてそれを実現してしまうことがこの蔵の姿なわけなんですよ。いやもう感服。
印象的な話はたくさん伺ったのですが、一つだけ。
酒造りの工程で、素材に直接手が触れる作業は洗米と麹造りだけだと。その部分だけは人の手をちゃんと使って行きたい、機械に任せることが出来ないと仰っていました。
思い出したのは、僕のもう一つの心のお酒である奄美黒糖焼酎の龍宮の蔵元、富田さんの話。麹造りでは手を使いたくなる、その手で触れたことによる味があるという話。最近は若手が作るから、爽やかなんだよと。
目標としている形は違うのですが、どちらのお酒も心に響く、訴えてくるものがある味。それはその作業の意味を体得している方々の思いが結実したものなんだなと、なんだか腑に落ちたのです。
ライバルは去年の喜久醉と言い切る杜氏。
すでに心のお酒なんですけど、そんなこと言われちゃうと、ますます心酔しちゃうのですよ。
最後にもう一度書いておきますが、青島酒造さんは個人での蔵見学を受け付けていません。運が良ければ今回の僕らのような機会があるかもしれませんので、それまではしみじみと喜久醉を飲んで待ってるのがよろしいのであります。